犬を食べる

犬を食べる
荒木田慧の詩集 社会の詩より
犬を食べたいと思って
山手線で新宿からひと駅
いきました

現代をいきる進んだにんげんは
一般的に鶏や豚や牛の肉を食べます
ときどき馬や熊や猪や鹿なども食べます
でもあんまり犬は食べないみたいです

よく
肉を食べないひとが
肉を食べるひとに怒っているのをみますが

肉を食べるひとの中にもまた
犬を食べるひとに怒るひとがいます

私は
怒るひとと怒られるひととの違いではなく
にんげんに食べられる動物と食べられない動物
その違いを不思議に思いました

鶏も豚も牛も馬も熊も猪も鹿も犬も
全部同じように思い

でも私は犬を食べたことがなく

だからもし
もし犬を食べたら

何かわかるかもしれない
何かかわるかもしれない

そういう風に思いました

いく前
一番上の伯父さんに
犬を食べてみたいと言ったら
伯父さんは
犬を食べると肌が脂っぽくなるのだと
いけないことを言う時のような声で
教えてくれました

だから
ドキドキしていきました

街について
目当ての店がどうしても見つからず
看板に「狗肉」の文字を見つけ
そこに入りました

メニューにはその文字がなく
注文をとりにきた女の人に尋ねました

女の人は
そんなものはない
というような顔をしました

!!看板に偽り有!!

私は仕方なくその店の
延辺料理とよばれる
中国の北朝鮮国境付近の料理を
お腹いっぱい食べました
それらの皿には犬は入っていなかったけれど
今まで食べたことのない
近くて遠くの美味しい味がしました

結局
私は犬を食べられませんでしたが
大きな頭の小さな脳みそでかんがえた結果

にんげんに食べられる動物と
にんげんに食べられない動物とは
とくに違いのあるものではなく
(それはただの意味のないあみだくじのようなもので)

そのことは

肉を食べるにんげんと
肉を食べないにんげん

犬を食べるにんげんと
犬を食べないにんげん

ひいては

動物を殺し肉にするにんげんと
パックに入ったその肉を食べるにんげん

それらのにんげんたちに
なんらの違いがあるものではないことに
似ているのかもしれないと思いました

やれやれと帰途につき
それでもやっぱり私はいつか
犬を食べてみたいです









2018年4月25日

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