イエス, アイムカミング(4)

イエス, アイムカミング(4)
荒木田慧の詩集 「エッセイ」より
人を刺した、とMは言った。

移動中の車内、Mの目の前で仲間が撃たれて死んだ。報復のためにMは犯人をナイフで刺した。その罪で7年だったか服役した。

ホームレスにも2種類あって、金に困っているのと金に困っていないのがいたが、Mはいつも金に困っていた。生活保護を受けられることになったと新宿から蒲田へ何時間もかけて歩いていったが、手違いがあって受けられなかったと、また何時間も歩いて帰ってきた。

「困ったやつがいなくなったと喜んでいたら、なんだもう帰ってきたのか」

くたびれてしょげきった顔のMを、I老人と私はそう笑って励ました。


I老人は金に困っていないほうのホームレスで、新宿西口では長老的な存在だ。

「私はベニスの商人のシャイロックですから」

そうI老人は言った。シャイロックというのはユダヤ人の高利貸しの名前らしいが、私はシェイクスピアを読んだことがなかった。たしかにI老人は、路上の仲間うちで金貸しをしているようだった。

そのI老人から相談を受けた。Mへ貸している金が、IからMへの信用の限度額を超えたらしい。Mは相変わらず金に困っている。だから私からMへ千円ほど貸してやってほしいというのだ。私がMに貸すぶんの千円は、Iが私へ貸すという。千円くらいならIから借りなくともMに貸してやれそうだった。私はすでにMへたびたび金を貸していた。わずかな金額だが私には痛かった。痛くて楽しかった。


夜、私は2人のところへ出かけていった。Mの座る段ボールの上には、カーキ色のジャンパーが置かれていた。光沢のあるMA-1型で、左肩にアメリカ空軍の黄色い羽根の紋章がついている。どうしたのかと聞くと、通りすがりの男がくれたのだという。サイズはLARGEとあるのに、Mにも小柄なIにも小さすぎて着られなかった。私が着るとちょうどぴったりだった。

左腕についている2つのペンホルダーの奥には、何やら固いものが入っていた。MとIが聞いたところによると、これをくれた男がペンを2本そこに差しておいたら、キャップだけが奥で外れたまま、どうやっても取り出せなくなってしまったのだという。ださくて余計に気に入った。ボールペンの間抜けなキャップのくせに、カーキ色の布越しのそれはふたつの薬莢のようにみえた。私はそれを千円でMから買った。仕入れがタダなのだから、Mに千円やったと同じ事だ。I老人は隣で黙って私たちを見ていた。

彼らはホームレスと呼ばれるが、そこには「ホーム」と言っていい仲間意識があった。彼らは正確には、家がないだけのハウスレスなのだと私は思った。ステイホーム、ステイホームとメディアは叫んでいたが、家のない彼らは街のどこにいようとステイホームだった。 逆に、帰る家があるのにわざわざ路上で眠っている人たちもいた。ハウスはあっても、彼らもまたホームレスだった。

食べ物を買い込んだあと駅前の段ボールまで連れだって歩きながら、Mは唐突に母親の話をした。

「親父がお袋を殴ったんだ。お袋が家の金を宗教につぎ込んじまって、それで殴ったんだ。俺は学校に行ってたから、お袋を守ってやれなかった」

40年も前の出来事を、ぼつぼつと悔しそうにMは語った。母親がキリスト教徒だったとMが言うと、協会関係者の通行人はIよりもMに多く金をくれた。神様は不公平だと私たちは笑った。

「こんなにくしゃくしゃにしちまって、しようがねえなあ」

Mは私の手提げカバンの中を覗くと、無造作に押し込まれていたシャツを取り出し、きれいに畳んでもとに戻した。一緒に入っているスケッチブックを見つけたMは、「かわいそうだろう」と笑って、表紙を外側に向けて入れなおした。表紙にはくまやうさぎの絵が印刷されていた。ゴチャゴチャしたカバンの内側を向いていたら、くまやうさぎがかわいそうだとMは言ったのだ。ナイフで人を刺すとき、これほど心の繊細な人間はいったい何を思うのだろう。



相手は死んだか、と私は聞いた。

Mは静かに首を振り、何も語らなかった。

みんなに借りた金を返さないまま、誰にも合わせる顔がなくなって、Mは新宿からいなくなった。






(続く)

2021年12月31日


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