イエス,アイムカミング(1)

イエス,アイムカミング(1)
荒木田慧の詩集 エッセイより
10月の朝、新宿西口でホームレスのIから5,000円借りてバスに乗った。故郷に帰って「もうすっかり金がない」と打ち明けると、叔父がATMへ走って2万くれた。母からは1万借りるのにも借用書が必要だった。私は36歳だった。金がないことの惨めさと自分の信用のなさとで泣きたくなって、夕方のバスで東京へ戻った。

朝借りたばかりの5,000円を返しにIのところへ寄った。「トイチじゃなくて1日1割で」と冗談めかして5,500円渡そうとしたが、Iは利息の500円を決して受け取らなかった。

「赤の他人のIさんが口約束で5,000円貸してくれたのに、母は1万借りるのにも借用書を書けって言ったよ」と私が言うと、Iはしみじみ「いいお母さんだねえ」と答えた。私も本当にその通りだと思ったので、有難いのと悔しいのと情けないのとで涙が出た。

駅前に立っていた男が金に困っていると言うので1万2千円やった。そいつは嘘つきの詐欺師だと聞いたが、そんなのはもうどうでもいいことだったし、今更どうにもならないことだった。

インドの子供達(恵まれない)に1万円送った。
ホームレスのNに1万円以上貸した(結局返ってこなかった)。
友達の絵をわざわざ「安いね」と言って買った(実際お値段以上だと思った)。
生まれて初めて取り寄せたアフターピルは思いのほか高価だった(だから一晩で振られた心痛を懐の痛みへとすり替えることができた)。

一緒に暮らしていた恋人は呆れて最後には100円も貸してくれなかった。私が出て行くまで一緒に住まわせてくれたのだから本当に寛大な人だった。

駅前で出会ったおじさんに電話をかけて、新大久保の家の地下室に月3万で住まわせてもらうことになった。お互い金に困っていたのでこれはいい話だった。おじさんは変だが善良な人で、善良すぎて変になったのかもしれなかった。

新しい恋人は自営のプログラマで、土曜しか街へ出てこない。彼が「本当に困っているなら金を貸すよ」と言うので「貸りないよくれよ」と答えると、そういうところが好きだと笑ったが結局金はくれなかった。

私は道で物を拾うようになった。その頃つきあっていた友達はみんな道で出会った人たちで、だからかみんな道に落ちているものを拾う人たちだった。私は彼らから、道で拾ったものをよく貰った。特にアクセサリーを貰った。新宿西口に落ちていた金色の指輪や、銀座で拾ったという銀色の指輪、紫の石のついた指輪はゴミ捨て場からの掘り出し物らしい。黒いべルトの腕時計や、金色の髪留め、あかい石のついたピアスなどなど。彼らが見つけてくるものは、百貨店やショッピングモールでは幾ら出しても買えないものだった。なんの価値もないゴミであり宝だった。

実際、道にはなんでも落ちているのだ。酒と煙草を買ってくるねと東武練馬の友人の部屋を出る。私も友人たちも同様に金がない。コンビニへ向かう最初の曲がり角、植え込みの下をふと見ると、ほとんど手付かずの煙草と500ミリのビール缶が落ちている。私はありがたくそれらを拾い、ためつすがめつ喜び勇んで彼らのもとへ帰る。

誕生日、プレゼントは拾った物でもいいよと恋人は言った。なかなか目ぼしいものが見つからず焦ったが、約束の数日前、新大久保のカラオケ館の前にそれは落ちていた。黒っぽい柄の女物のマフラーだった。洗って地下室に干すとなかなか綺麗になった。マフラーを包む袋は、大久保駅へ向かう小さなトンネルの前で拾った。確か古いバレエ教室の近くだ。体育館シューズでも入れるような紺色の、不織布の安っぽい袋だった。袋にマフラーを入れて紐を結ぶと、なかなか見栄えが良くなった。恋人はそれほど嬉しそうにしなかったが、きっと彼の細い頸に似合うと思った。

その頃私はモニター越しにオンラインで売春してどうにか食べていたのだが、叔父と母に返せるだけの金が口座に貯まる頃には、私はまた人を疑いはじめ、道で物を拾うこともいつの間にかやめてしまった。

(続く)









2021年9月29日


10月1日に創刊されたWEB詩誌「抒情詩の惑星」へ寄稿しました。
https://poetry2021.webnode.jp/l/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%ef%bc%8c%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%a0%e3%82%ab%e3%83%9f%e3%83%b3%e3%82%b0%ef%bc%881%ef%bc%89%e8%8d%92%e6%9c%a8%e7%94%b0%e6%85%a7/

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