焦
荒木田慧の詩集 生活の詩より
焦がした鍋を流しに放置して出かけた
帰ったら同居人の叔父は怒っていた
スプーンでがりがりやってもダメだったって

「鍋 焦げ」で検索
100円ショップまで重曹を買いに

イヤホンからは第九
カラヤン指揮の第九

消費期限の迫ったオレンジ色のコートは
暴力的に軽く暖かい時計じかけ

フロイデ シュエーネル ゲッテルフンケン
トフタル アオス エリュイジウム

(むかし母が市の第九に出て
練習から帰ってきて
「隣の女が音痴でかなわない」って
その女はたぶん左隣
右隣の女はきっと母の口臭に迷惑
歓喜をうたう非寛容な数十人の小市民たち!)


かつて生きることはあそびで
世界はぜんぶおもちゃで
叔父はやさしかった

きいろいプラスチック・ボール
一抱えの惑星

まだ若い叔父と
ごくごくちいさな私は
屋根裏に敷き詰められた
グレージュ色の絨毯のうえ
その星であそんだ

いろんな形の穴が開いてて
いろんな形のブロックがあって

正しいクレーターに
正しい隕石を

☆には☆を
○には○を
△には△を

落とすだけでよかった

そのたび叔父は拍手喝采
世界はスタンディングオベーションで
破壊神の私を祝福した

簡単すぎて
ばかにされている気も
たぶんすこししていたけど


重曹

袋にぶらさげて
帰り道
コンビニでコーヒーを買う

缶や紙パックじゃなくて
ストロー付きのプラスチックのでもなくて
カウンターの横のマシンのやつ

レジで150円はらって
紙コップを受け取る

(検尿!
店員は最低賃金の看護師
客は添加物まみれのクランケ)

マシンのボタンを押す
ホットコーヒーとアメリカンコーヒー
レギュラーサイズとSサイズ
間違えないよう
細心の注意をはらって

(レギュラーって「ふつう」って意味だと思うけど
「ふつう」って人によるよねヘンなの
だってミニストップのコーヒーはSとレギュラーだけど
セブンイレブンのコーヒーはレギュラーとLなの
それでミニストップのレギュラーは
セブンイレブンのLなの
混乱!)

正しいボタンを押すと
正しい液体が噴出
私の紙カップを満たす
150円分の正しさ

ほしいのはいつも
コーヒーなんかじゃない

たちまち逃げてしまいそうなそれを
蓋で閉じ込めようとして私は
カップごと床に落とした

くるっていたのは
手元だろうか

私の可哀想な正しさは
他人事みたいに
ぴかぴかの床ではじけて
周辺約1メートルを
黒褐色の尿でよごした

(最高等級アラビカ豆100%使用!)

イレギュラーなレギュラー

イヤホンからは歓喜!

ヴィァ ベットルェイテン ファイアートルンケン
ヒンムリーシェ ダイン ハイリヒトゥム!

もはや何もかも簡単すぎたりしない私に
それでもレジの女は
真新しい紙カップをくれた

「再検査は何度でも可能です!」と
喜びにみちみちた笑顔で

こめかみに銃創をこしらえた私は
重曹と縦走し重奏

流しにある焦がした鍋は
「焦がしてしまった」が正しい

コップ1杯につき大さじ2の重曹
コップ11杯につき大さじ22の重曹
途中でかぞえるのが嫌になり全部入れた

10分沸かしてから冷ませば
きっと簡単に取れるから赦して



かつて生きることはあそびで
世界はぜんぶおもちゃで
今もやさしい叔父は
今よりもっとやさしかった








2019年1月21日

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