自殺未遂と女性自身(4)

自殺未遂と女性自身(4)
荒木田慧の詩集 エッセイより
(つづき)


清潔な昼。

左側のベッドに初老の男性患者が入ってきた。

緞帳越し、看護師と話す声が聞こえる。

「妻には言わないでください。絶対、妻には知られたくないんです」
「あのですね、入院にはご家族の同意書が必要でして…」

コンビニエンスストアの駐車場で意識不明になっていたところを、救急車で運ばれてきたらしい。糖尿病の薬を飲んだまま食事を摂らずにいたため、低血糖を起こしたようだ。

先程から看護師と押し問答を繰り返している。病院から妻へ連絡が行くことを、断固として拒否しているのだ。妻に怒られるのが怖いのだろうか。それとも他に、何か別のやましい理由があるのだろうか。

(いるはずのない時間、いるはずのない場所にいたとか?)

男のあまりの頑なさに最後は看護師の方が折れ、苛立った足音を立てて部屋を出て行った。

入院にはご家族の同意書が必要なんです。

死ぬときは
誰の同意書も
間に合わないんだから。


幕間。

正面のカーテンが開き
食事が運ばれてくる。

ミルクみたいな色をした
プラスチック・トレイの上
黄色いバナナが
のんきそうにしている

トレイを置いた看護師が
ふと、ふふと笑う

「私、バナナ大好きなんです。
高校生の頃、ひと房カバンに入れて
学校へ持ってって食べてたんですよ」

黒々とはずむロングヘアを
後ろできりりと一つにまとめた
あかるい瞳の女子高生

坂道、
彼女の太い腿がぐんぐん漕ぐ
通学用自転車のカゴの中
教科書やペンケースや化粧ポーチと
がたがた肩をぶつけながら
紺のスクールバッグを膨らませる
若く健康なバナナたちは
南国のつよい日射しの下にいたころ
極東の女の子の机上を
夢に見ていただろうか

休み時間のたび
もがれ剥かれ飲み込まれていく
彼女のポニーテールみたいに太く
前向きに黄色いバナナたちと
そのショーを囲んで
小さな歯を見せて笑い合う
ひと房のクラスメイトたち
(きっと女子校だったに違いない)

今日、
私と彼女は
ふたりで笑い合った

バナナは楽天主義の食べ物。



退院。

母と夫が連れ立って
私を迎えに来てくれた。

服を着替え
荷物をまとめ
ベッドの端に腰掛けて
手続きの書類を待つ

海を渡る
乗り合いボート

ひとり先に降りようとして
泳げないくせに
溺れることもできず
おめおめと這い戻ってきた
情けない乗組員を
ほかの2人は責めなかった。

学校を出たばかりだろうか
若い看護師が外した
点滴の処置が悪かったようで
気がつけばベッドの横の床に
小さな血だまりができていた。

ぼたぼたと
鮮血!

青い唇をした私は
その赤さを黒い目で見た。

自動操縦装置は
今日も正常に稼働中。

(目的は、墜落しないこと。
目的地は、どこだかわからない。)

フライトレコーダーには
数日前の未遂に終わったハイジャック行為の顛末が
克明に記録されているはずだ。

ブラックボックスを開けるのは
未遂犯である私の役目。

(つづく)









2018年12月30日

他のエッセイ