自殺未遂と女性自身(1)

自殺未遂と女性自身(1)
荒木田慧の詩集 エッセイより
目を開けたら、病室だった。
私はベッドに寝ている。
足元に三人。母、姉、夫。
気がついたね、と声。
両手がそれぞれ、ベッドに固定されているのに気付く。
拘束具だ。

ああ、死ねなかった。

看護師と医師が数人、バタバタとやってきて、
私の口に吸引具のようなものを突っ込む。

苦しい、苦しい。

頭を振ってもがく。
両手の金具が、繋がれたベッドの柵にぶつかり
ガチャガチャと耳障りな音を立てる。

口から液体が溢れる。
墨みたいに黒い。
真っ白なシーツに吐く。噴く。汚す。
これが噂に聞く「胃洗浄」というやつか。
イカ。タコ。
小学校の書道の時間。

薬、たくさん、飲んだんだっけ。

去年の秋の終わり、
夫の仕事場に近いアパートに引っ越した。
老人の多い、さみしげな街だった。
あたらしいメンタルクリニックの若い男の医師は、
「オーバードースはしないでくださいね」
と釘を刺してから、48日分の薬をまとめて処方した。

冬が来て、32歳になって、あたらしい年が来た。
春が来て、5月になっても、私は街になじめなかった。
生きている手応えがなかった。
死にたい、と思うようになっていた。

死にたいと初めて思ったのは確か18歳のときだった。
自殺を具体的に考えたのは28歳だった。
年齢を重ね、精神のアップダウンを繰り返すごとに、
希死の色はより濃く鮮明になっていった。

明確な理由などない。
私は十分に恵まれている。
それはわかっていた。
死ぬ理由などない。
でも同じくらい、死なない理由もなかった。
何も、なかった。
生きたがる身体と、死にたがる脳。
堪え難い齟齬があった。

32歳。
死にたい、というより、
生きていたくないのだった。
生きていたくない、というより、
起きていたくない。
感覚を遮断して、深く、長く、
意識を失っていたい。
眠っていたいのだった。

睡眠薬を飲んで眠るのは、
パソコンの強制終了に似ている。
目を閉じても鳴り止まらない動作音。
小さな白い錠剤で電源を長押し。
夜毎繰り返される、不自然な失神。
遅かれ早かれ、壊れる気がした。
それならいっそ今すぐ、
自分で壊してしまいたかった。

首吊りが確実な気がした。
ロープがよかったがホームセンターまでは遠すぎ、
そこまで行く車も気力もない私は、
歩いてすぐのコンビニで縄跳びを買った。
黄色のビニールで、持ち手に金色のラメが飛んでいた。
首吊りには定型と非定型があるとネットで知った。
玄関からキッチンへと続く扉の、
ドアノブで吊ろうとした。
うまくいかなかった。
床で左腕を打った。

オーバードース、
薬物の過剰摂取はしたことがなかった。
20歳ごろから精神の不調を感じ、
メンタルクリニックで貰った薬を
断続的に服用していた。
なかなか寝付けない夜、
苦し紛れに数錠、睡眠薬を追加で飲むことはあった。
不安を追いかけるようにデパスを重ねたこともあった。
でも一度に大量に飲んだことはなかった。

何もかも、どうでもよかった。

落書き帳の一枚にびっしりと遺書を書き、
薬のシートから錠剤を取り出した。
ラムネ、ボタン、おはじき。
300錠弱を、缶チューハイでざらざらと胃に流し込んだ。
夫にラインでメッセージを送った。
ベッドに横になり、目を閉じた。

ゆっ
くり



たき。

瞼を開けたら病院で、私は生きていた。
がっかりもほっともしなかった。
生きている、
ということを認識する私が、
ただ、生きていた。

一度死んだと思って、生きなさい。

罪を宣告するような、母の抑えた声。
自分の生み出した命が自ら閉じようとするとき、
母という存在は何を思うんだろう。
子を産んだことのない私には、
よくわからなかった。


姉が片道2時間くらい車を走らせて、
見舞いに来てくれた。

「何か欲しいものはある?」

活字を読みたいと思った。
なるべく、生きているものを。
私はすこし考えてから、

「女性週刊誌を買ってきてほしい」

と頼んだ。

ピンクの表紙の、
女性自身とか、週刊女性とか、そういうの。

(つづく)










2018年9月9日

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